気になったニュースとそのメモ

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世界有数の科学ジャーナルもあきれる日本のメディアのレベルの低さ

世界有数の科学ジャーナルもあきれる日本のメディアのレベルの低さ

http://sek-kai-oh.blogspot.jp/2012/11/blog-post.html

 

関連;科学取材…専門用語飛び交い理解不能の世界、頭が真っ白に

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121030/wlf12103009110001-n1.htm

 

【長野】

考察】

新聞の中身の質が低下している(元々の低さが露呈しているだけかもだが)

ちょっと調べればわかることでも、やらない。

特にそれは専門分野において顕著で、関連記事でいうところ「私立文系=一般人感覚」という名目でそれがまかり通っている。

 

ここで、社会はブロガーで有名なちきりん @InsideCHIKIRIN の最近のツイート引用。

>「退化しつつある組織」で働いていると、どうしても「社会全体が悪い方向に向かっている」ように思えてしまう。悪い方向に進んでるのはあなたの組織だけであって、社会全体は進化してるんですけど?ってことに気がつかない。これはつらいよね。

>新聞社の人なんて本気で「最近の若者は新聞も読まない。これでは将来が思いやられる」って思ってるんだよ。いや、これ冗談じゃなくて。

 

で、これを踏まえて知人の@toshic2のツイート(後述)をまとめつつ考えてみる。

 

今は大衆よりも個の時代。”みんな知ってる知識”よりも”少数が知っている特化した知識”、つまり「個々が求める情報を提供していくこと」が”情報”においては求められている。

そこで、情報そのものへのレベルの高さや利用できるかが今後のニーズとなる。

 

この傾向は既にアメリカにおいても起きているみたい。

『アメリカの新聞は、そうとうひどいことになっているらしい 

http://techwave.jp/archives/51471720.html 』

『アメリカの新聞の凋落 

http://www.chikawatanabe.com/blog/2008/03/post-6.html 』

 

『『ニューズウィーク』がアメリカでは紙のメディアとしての歴史に終止符を打ちオンライン版に完全特化 http://d.hatena.ne.jp/teru0702/20121021/1350814301 』

にあるように電子化の波がきており、これは広告収入が紙面においては難しいという理由もあるが、個人が自分の好きなように情報を選びたい、という思いもあるのではないだろうか。

 

【予測】

と、なると今後は科学誌Newtonのような専門誌や、『ニューズウィーク』がアメリカでは〜』にも書いてあるような、個別に好きな情報を組み合わせる形式になっていくのではないだろうか。

 

つまり、「大衆を相手にしないマスコミ」が今後マスコミが生き残る道となるため、そのような動きになるのでは。

 

また、toshi2が触れているが地方誌(自分の住む地域で起きたことに特化した新聞)も”身近”で”使える(?)”情報なので生き残るのでは。大衆の全員が全員、専門知識を求めているわけではない。そういう人は何の情報が欲しいかといえば、”生活”の情報。

そして自分の住む地域の生活情報が乗っている”地方紙”は全国紙よりニーズはあるかと。

行ったこともない場所で事件が起きるより、行ったことのある近場での事件の方が興味を惹く。

 

 

(後述)にしてたちきりんのツイート踏まえたtoshic2のツイート。

 

新聞を読まない=先行き不安、の図式が出来上がってるのね。新聞って一つには大量生産、大量消費型社会に合ってるからどの社会でも発展過程において、必ず新聞社が発展するんだと思う。

画一的な、均質的な能力の人間や消費スタイルを作るのに、新聞ほど向いているものはないからだ情報にだって需要と供給はある。誰とでも共有出来る情報を求める消費者から、それぞれが個別の情報を求める消費者に変わった。新聞社が、上手くそれを供給出来ていないから、売り上げ落ちてるだけじゃないのかなぁ。

 

地方紙なんかは、地方の情報を望む人が一定数いるから大衆紙よりかは残ると思うでは新聞はどうすればいいのだろうか。一つにはもう大衆メディアであることを、諦めること。思いっきりコアな内容にしてしまうこと。もう一つは全大衆の興味範囲を網羅すること。こうすれば大衆メディアとしての面目は保たれる。しかしそれは紙面でやるのは不可能だろう。答えはネットしかない。

 

新聞ならば、一定の情報を世の中の全員に送ることが出来る。ある一定ラインの教養を持たせることや、ブームとなるような消費を促すことが可能である。テレビも言わずもがな。大衆メディアの性質である。これはかつて日本も経験した、大量生産・大量消費社会において非常に都合がいいメディアである。

 

じゃあ何故今は新聞が求められていないのか。一つには、人がプラスアルファの情報を求め始めたこと。その道のプロのブログが人気なのは、これが理由だろう。もう一つは、画一的な情報ではカバー仕切れない情報を求めているから。新聞では載せきれない物を求めて、ネットをさ迷っている。

 

今求めてられているのは多様性。これはもうどうしようもなく、新聞とは相性が悪い。新聞は大衆メディアである。大衆メディアの発する情報は、片寄り過ぎてはいけない、誰もがそこそこ興味におくぐらいの物でなければならない。だが、少し興味を持つぐらいの内容に、果たして人は金を払うだろうか?

 

では新聞はどうすればいいのだろうか。一つにはもう大衆メディアであることを、諦めること。思いっきりコアな内容にしてしまうこと。もう一つは全大衆の興味範囲を網羅すること。こうすれば大衆メディアとしての面目は保たれる。しかしそれは紙面でやるのは不可能だろう。答えはネットしかない。

 

電子新聞の内容を更に充実させようと思ったら、もう外部の人間にネタを提供してもらうしかない。内部の人間だけで作るには限界がある。人数的にも、知識的にも。ミドルマンとしての役割はあるが。そうなると、もう新聞社は現在の社員を大幅に削減しなければならない。そこまで維持出来ないからだ。

電子新聞で既にネットでやっていると言われるが、あれでは足りないのだ。それは会員数の極端な少なさ(日経を除く)で分かるが、あれは単にまだまだコンテンツが不十分なだけ(勿論、価格面の問題もあるが)。コンテンツは、その道のプロや様々な分野の人間によって充実させるしかない。

 

「大勢を相手にしないメディア」というのが、一つのキーワードになるだろうね。

 

【関連やりとり】

@iinanamimi アメリカの新聞とかって、もうインテリ層にターゲットを絞ってそこだけに売っているイメージですけど、実際にはどうなんですかね。

@toshic2 インテリ層がそんなにいるわけではないので、結局のところ厳しいかと。価格もそこまで上げるわけにはいかないですし。